Chef's Universe

LA BONNE TABLE はおよそ 10 年前に LʼEffervescence の姉妹店として、東京の東側江戶 の香りが強く残る日本橋にオープンした。その店名は、LʼEffervescence 生江シェフのリク エストによって、ミシェルがつけたものだ。

St Pierre は、まだ江戶時代の雰囲気、下町情緒が豊かに残っている、東京の東側に位置する 人形町というエリアにある人気のビストロだ。フランス料理の著名シェフを始めとしたこ の業界の人々、ヨーロッパ線のフライトアテンダントなど、フランスの食文化に精通した常 連を多く持つ店として知られる。

飲料と食事のペアリング。それらは、古代エジプト、ギリシャ、ローマなどで、すでに時代の洗練と進化を見る事ができる。世界のさまざまな食の歴史の変遷を経て、20世紀の終盤からは科学の進化とテロワールの再評価とそれへの信仰が、世界のガストロノミー・テーブル上のペアリングというアクトをダイナミックにしてきた。そこにCovid-19影響が加わって、ノン・アルコール飲料とのペアリングという新しい領域まで生み出した。

翻って日本は古代から季節の国。

祖母の名前を冠したODETTEでミシュラン3つ星、ASIA BEST 50の最上位を獲得し、素晴らしい個人的な才能と組織リーダーとしての力量を見せるJulien Royer。彼が2店舗目のClaudineをオープンしたのは2022年だった。友人のJulien Mercierexecutive chefとして迎え、植民地時代の教会をスタイリッシュに改修、そこに今度は母の名前を冠してのスタートだ。
Héritage by Kei Kobayashiは、20241月ザ・リッツ・カールトン東京の45階にオープンした。その前身となる同じ場所にあったAZURE 45で、すでにコラボしていた村島輝樹氏が料理長を務める。アジア人で初めてフランスでのミシュラン三つ星を獲得した料理人として知られる小林氏が自らの名を冠して監修する日本で初めてのレストランとなった。
「記憶を呼び起こす香り」という意味の朝鮮語を、初めての自分の店の名前としてスタートLouis Hanは、数年後、32歳でミシュラン1つ星を獲得した。順調な滑り出しだろう。ソウルの江南で弁護士の母親の元に育った。医者や弁護士に、という母親の期待を振り切って、料理人になりたいという固い決意を持って料理学校へと進んだ。
と言っても反骨精神でもなんでもなく、優しい大家族に囲まれて、自分の心が導く道に進んだのだろう。フランス料理とイタリア料理を学んで、中東で経験を積み、シンガポールに舞い降りた時には、自分の母国の料理に没入した。シンガポールの先輩であり、ミシュラン1つ星の先輩であるMETAのSun KIMの下で自分を磨き、自分が何をやりたい、どのようなシェフになりたいかを探求した。
シンガポールのベストロケーション、マンダリン・ギャラリーの2階に2015年オープンのミシュラン1つ星。山中シェフは、かつて東京銀座のグランメゾンL’OSIERで初代料理長ジャック・ボリーに見込まれメインディッシュを任されていた早咲きだ。その後、東京リッツ・カールトン・ホテルのメインダイニング総料理長を務め、その時にシンガポールからのお客に見込まれ、中心地オーチャード・ロードで世界の客をもてなすこととなった。しっかりとしたフランス料理の技術と様式をベースに、日本の食材を積極的に取り入れ、季節のない街で季節感のあるフレンチを提供する。

シンガポールのミシュラン3星レストラン、フランス人 Julien ROYER シェフに率いられ た ODETTE は、今日、世界の美食家が訪れたいレストランの一つだろう。The world best 50 の常連、Asiaʼs best 50 では頂点の常連だ。その他さまざまな世界的な賞で栄誉を得ている。どんな検索の仕方をしても、今日において大変に多くの角度から評価されている料理人 の 1 人であることが一目瞭然だ。

フランスの奥座敷とも言える Cantal 県出身の Julien は、当初シンガポールに来た頃には、 がっしりとした“フランス料理”を背景とした料理人だった。それまでオーヴェルニュ地方のBernard Andrieu の下で学んだ知識と技術を屈指して、任された ST.REGIS ホテルのブラッセリーで腕を振るった。