AKORDUという、バスク語で「記憶」という名前のレストランが日本の最初の首都であった古都奈良にある。
しかもモダン・スペイン料理と自らをカテゴライズしたそのレストランは、かつて東大寺の一部であった若草山の裾野に佇んでいる。
8世紀に建立された東大寺は、仏教史のみならず日本の歴史文化に大きな影響を与えて来た重要であり規模も大きな寺院だ。世界遺産の一画でもあるその大仏殿は世界最大の木造建築として知られる。
その元敷地の一角に立ち、若草山の豊かな緑を臨むというロケーションだけでも異彩を放つミシュラン2つ星と言えよう。
川島宙(HIROSHI KAWASHIMA)の放つ個性はもちろんそんなところでは収まらない。
日本の有力ホテルなどでフランス料理の経験を十分積み、料理人としての一定の地位を築きはじめた彼は、一方で大きな壁に直面していた。自分がお客様に提供すべき料理とはなんだろう。そんな折に、バスク地方の巨星Mugaritzの一皿が自分を直撃した。Andoni Luis Aduriz氏に手紙を書くまでに大した時間はかからなかった。
バスク地方での体験は、創造的なバスク料理やスペイン料理を学ぶ機会となったばかりでなく、自分が料理を作るを根本から見直す機会ともなった。それまで日本で学んだフランス料理は、ホテルでの時間が長かったこともあり、選ばれた最高級食材をプランに従って調理する料理法であった。バスクでは、ちょっと調味料を買おうと街に出れば、昼休みでどの店も休み。かと思えば、キッチンの裏ドアが開いたと思ったら、猟師が山で取れたばかりキノコを買わないかと差し出す。料理とは、自分が世界に対して目を凝らして耳をそばだてるところから始まることなんだ。そうした理解を獲得できたことが、バスク地方滞在の最大の収穫だという。
そして川島シェフは、奥様の故郷である奈良の地を選んで自分の道を歩み始めた。
その料理には、Mugaritz風なプレゼンテーションや調理法も多く見られる。しかし、海の幸を除けば(奈良県は海がない)90%が奈良の食材で作られる料理は、この地に目を凝らし耳を傾けた料理なのだ。『もはやスペイン料理とは言えないね』とスペインの友人たちにも言われます」と川島。
「奈良はそれぞれこだわりを持った生産者が多いです。そして狭い地域だからか横のつながりが濃密。だから磨きあって工夫された農法などから生まれてくる生産物も個性的で質が高い」と、東京、京都での経験豊富な川島から、自信を持ってそのような言葉が出る。
銀行に40年勤め、地元の価値を高める仕事に従事してきたある生産者は、奈良にゆかりの深い日本固有の柑橘類の再生に取り組んでいる。大和橘(大和は奈良地方の古代名でもある)と言われる香り高き果物は、彼が銀行を退職した頃は絶滅危惧種であった。野生のそれを育成して、この地の料理人などに持ちかけて、安定生産の道を開いてきた。柚子を筆頭に日本料理に積極的に使われてきた柑橘類が、今世紀に入りフランス料理などでも多く使われるようになった。その流れでカボスや酢橘などもレシピに採用されることが散見されるようになったが、このまだ海外では知られていない大和橘の香りの豊かさ、独特さ、苦味は、そうした中でも強い個性を放っている。
川島の思う食体験、それはそれぞれ個人の記憶に大きく根ざすもの。大した食材が使われてなくても、そして極論大して美味しくなくとも、幸せな体験であればその食は素晴らしい。
そういった「食体験とは何か」を踏まえた上で、食べに来るお客様に十二分に満足してもらえる料理を提供する。
その上でそれらは、ミシュラン2つ星、ゴ・エ・ミヨの「今年のシェフ2018年)に選出される料理でもあるのだ。
若草山を背景にした庭のハーブを楽しそうに摘む姿は、Mugaritzのハーブガーデンに重なる光景でもあり、
1200年の歴史を育む東大寺の足元で日々行われている行為でもある。
スペイン・バスク地方に大きくインスパイアされた川島シェフの「奈良料理」の片鱗を、映像でぜひご覧ください。